「450年以上続く伝統の味」
干し柿は、古くは百科事典的法典ともいえる『延喜式』(927年・平安時代)に、祭礼用の菓子として記載が見
られます。
今庄つるし柿は、いつ頃から作られていたのか明らかではありませんが、今から約450年前の戦国時代には、既
に今庄の名物であったことが知られています。
今庄は古代からの官道である北国街道上に位置し、南北朝時代にはすでに宿場町であったそうです。戦国時代に
は、北の庄城(現・福井県福井市)の城主だった柴田勝家が、織田信長の安土城(現・滋賀県近江八幡市)へ参
勤した際に、出立してちょうど1泊目を迎えるのが今庄であり、疲労回復に皆でつるし柿を求め喜ばれたことが
地元では伝承されています。
宿場町としての今庄は、京都と北陸を結ぶ交通の要衝であり、江戸時代に入って益々栄え、今庄つるし柿は「一
つ食えば一里、三つ食えば三里歩ける」と言われて街道を往来する人々の人気を博していたそうです。
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